ヒロの詩集 1. 『凍蛍』

目次   

凍蛍/遠吠え/詩/蜜柑/

星の数を拾うのは/

染まる/果実について

     凍蛍(とうけい)

 

   わたしの血は苦い

   だから蛍よ

   わたしには近寄るな

   わたしの血がほとばしるあたり

   おまえよりももっと青く燃えるから

   月が隠れた次の夜に点滅しておまえはさそっていた

   わたしには近寄るな

   流離の蛍よ

   漆黒のコーヒーを胃に流しこんで

   持って生まれた甘さと中和させているのだから

   穣りに遠い愛が溶けてゆき

   燐光が燃え尽きれば

   やはり苦い血がコトコトと流れているのだろう


      遠吠え

 

   月の赤い夜は、遠吠えがほしい。長く尾を

   ひく悲しみにのって、ぼくは原始犬に還る。

 

   「僕等の祖先は、昔

   月と同じ生命(いのち)を持っていて

   神さまを知っていた。

   それで、僕等は、野を駆けながら

   夜毎、忘れずに、天を呼んだ。」

 

   なぜ、空は笑ってくれないか。一つ残らず

   恒星が失せ、ねっとりと青い夜に。こんな

   晩、街は、時折、無機質の正体をあらわにするものだ。

 

   「いつの時からか

   僕等は飼い犬となり、野良犬となり

   多分の意味をこめて侮蔑しあった。

   喰(く)うことに楽になりすぎ

   または、忙しすぎたので

   僕等は神さまを忘れてしまった。」

 

   ああ、どこかで一声、犬がないてもよさそ

   うなものだ。猫がしのび足で過ぎてもよさ

   そうなものだ。

 

   「だが、覚えている。

   ゴミ箱に鼻を突っ込みながら

   背におりる月の色を僕等は知っている。

   そして、僕等が

   何処(どこ)から来たかを思い出し

   ぞくんと身ぶるいして

   一声 天を呼びたくなる。

 

   天は、まだ、応えてくれるか。」

 

   ベガもアンタレスも消えちまった夜に

   ぼくの心は、ひとしきり吠えた。

   ウォォン ウォォン ウォォン。


     

 

   一日を終えた安らぎは

   なんと奇妙な強迫感だろう

   今日という単位を

   またも 無益な会話で

   塗りつぶしてしまったらしい

   ただの一語も

   生命(いのち)をすり減らして話しはしなかった

   沈黙すらも 緊張ではなかった

   半端な無関心を

   微笑という非常手段にすり替えた

 

   言葉よ

   それは不幸か どうか

   生命のやりとりのいらぬ時代に

   しかし 誰も幸せと言いはしなかった

 

   友人のうちの誰一人

   ぼくの正体を知らぬように

   ぼくも自分に無知である

   何処(いずこ)より

   何処へ

   円周上の起点の座標を

   決める権利が ぼくにあろうか

   それとも 人は

   生まれる時と死ぬ時だけに

   その権利が許されるのか

 

   歌おうと思えば

   声は裂けるほどに

   言葉は刃でなければならぬ

   ぼくに言葉は優しくなくていい

   悲しみであれば

   言葉は乾いていなければならぬ

   涙をごっそり吸い取るために

   言葉は冷静な裁きでなければならぬ

   ぼくの証を見失わぬために

 

   そして ぼくは詩

   ぼくの詩は 歌を拒絶する

   言葉であっていい


      蜜柑

 

   果物屋の前を通るたび

   ぼくはひとつの確信をして

   ことさら顔をそむけて歩く

   一皿いくらの

   山盛りの蜜柑

   ぼくは

   一人っきりで蜜柑を食べることを考えると

   耐えられなくなるのだ

   蜜柑は いつも

   大勢で食べるのがいい

   家族みんなが 炬燵に入って

   テンポの速い時代劇などみて

   無心に皮をむくのがいい

 

   蜜柑の色は

   本の上の爆弾にするには 優しすぎる

   一人の部屋には 厳しすぎる


     星の数を拾うのは

 

   星の数を拾うのは 寂しい仕事だ

   とりわけ数字にうといぼくの手に負えるとなると

   風 ひょうひょう

   いくら探しても形にならぬ星座

   それでも まだ神話はあるだろうか

   ぼくらが 昔 そうしたように

   子供らはアポロンの夢を追うだろうか

 

   星の破片 ぼくの掌に落ちて

   キラリと痛い冷たさを

   すくいあげて去るのは 風

   それが ぼくらの

   今宵 神の祝歌(ほぎうた)だった


      染まる

 

   空の色をひきずり降ろして

   靴の下に組み敷き

   一つ一つをつぶさに検分

 

   たまにはプラタナスの

   半分あかく半分ちゃいろい星形の葉っぱに

   こぼれ落ちていることもある

   こいつ二度と宙に舞えない

   落ちながら

   凄い覚悟で

   空をかすめ取ってきたに違いない

 

   ぼくの しろじろと

   空に染まれない指先では

   拾い上げると 

   青い血がにじむ

 

   まだ枝先の残り葉からも

   空は ひたひたと したたり落ちる

 

   風がすくい

   歩道をころころと走っていき

   どこまでも染み渡る

   彼方に

   やはり 人間たちだけが

   無縁な生き死にの模様をくり返したのか

 

           *

 

   ベスビアスの火山灰に

   人の形した空洞があるという

   しかし 時間の断面壁に

   ぼくらの化石が残るだろうか

 

   動揺を隠して立ちすくんでいると

   死にぞこないの葉っぱめが

   (こいつは無様にも山茶花に

    へばりついていたのだが)

   頓狂な笑い声をたてた

   からっぽの中身が

   化石になんぞ なるものか

 

   からっぽの?

   からっぽの心では

   少しばかりの不安がころがる度に

   異常なほどの音をたてる

 

   ポケットから手を出して 胸にあてると

   何やら

   ひゅるひゅると指の間を駆けすぎた

 

   あわててぼくはのぞきこむ

   幾筋もの風の縞が見えた

   いつのまに

   風はぼくを過ぎていたのか

   時々は

   瑠璃や群青すら

   のせながら

   ぼくと空とを貫いていたのか

 

           *

 

   空の色を 三個ばかり 靴の先で蹴り上げた

   その行方追っても

   正体は不明 不暗 不透明

   願わくば 

   また ぼくに落ちてこい

   ぼくを染め

   あらゆる空に還って行け


     果実について

 

   それは

   いたみやすい果実なのだ

   いつまでたっても表皮が硬くならないので

   踏みつけて粉々にするのは たやすい

 

   かじると

   少しばかり 塩からく

    ほろ苦い味の果汁がにじむ

 

   果実が つややかに光ると

   ああ まるで宝石のようだ と 

   人々は陳腐な感嘆をもらす

 

   いたみやすいまま

   熟れていく果実が 時として

   踏みつけるとゴムのような弾力ではずみ

   変形もしくは破壊から

   身を守ろうとするのは

   おそらく突然変異の仕業であろう

   ただし

   この果実の発育過程においては

   突然変異があまりにもしばしば起こる

 

   そのすべての

   不可思議な性質のために

   人々は果実から目を離すことができない