ヒロの詩集 2.『海を見に』

目次   

夜/濁点と踊り字のある詩/

やさしさについて1./やさしさについて2./

海を見に/暮色/果実/原始のぶどう

     

 

    part 1

  夜中の二時まで眠れないわけは

  ガタゴトの電車

  人工音は 深夜まで響いてはいけない

  数珠つなぎのアフォリズムをはじきとばし

  魂の羽化が始まる時刻

  夜は 花を閉じ

  首(こうべ)垂れさせ

  雫をためる

  黙視に揺られて 心化粧

  他人(ひと)の傷の深さはわからず

  だから自分の傷より必ず深いと思い

  思い込んで 雫はホトリ

  自分の傷はなめていやし

  土につけていやし

  隙間もなく織りなす傷の心化粧

 

    part 2

  ジョニ黒の空き瓶に ドライフラワーの栓をした

  つめこんだものは

  一時半から六時半

  決して沸騰点に達しない男のやさしさ

  そのまま

  瓶の中では

  乳白色の未練が対流している


    濁点と踊り字のある詩

     

 詩を書かなくなるたびに、もうこれまでかと思う。

 何も困りはしない。

 月は白い濁点になるだけ。空は踊るだけ。

 それを写す言葉がなくなり、

 「私は……」の後が続かない。

 

 後を続けるのが、賢いか愚かか。

 私は……

 もう向こうみずな宣言のできない年齢(とし)になって、

 いま一度、旅の支度の、

 振り分け荷物。

 

 たとえば、一つに、文の燃えさし。

 残る一つに沢庵石。

 膝にかかえて静思しようと思う。

 迷いに耐え得る年齢(とし)になって、

 目の前で、インドのやじろべえが揺れ続ける。


    やさしさについて 1

 

  やさしい人のやさしい歌が多すぎる

   きれいな歌が多すぎる

  それは 現代人の病だ

 

  さだまさしの歌 好きですか

  悲しい歌はつらすぎる

  楽しい歌聞く気分じゃない

  でも ぼくは やさしい歌はうたいたくない

 

  中島みゆきの歌 好きですか

  なんて泥まみれの言葉で歌うのだろう

  なんて裂けた心に歌い込むのだろう

  でも 反旗は 風に逆らってこその旗

 

  友人から大岡信へ

  ぼくたちはお互いに 他人にやさしすぎる病を

  持ってしまいましたね

  (刃は君自身をも傷つけて

   正確なメスがくもってしまった)


    やさしさについて  2

 

  一つの言葉が 

  全身を貫いて走るおののきを知っているか

  一つの言葉が 

  生まれでる瞬間(とき)の息遣いを知っているか

             

  思いつく歌がある

  たぐり寄せ

  目のさめる白い壁に向かい

  刻み込むまで

  ――歌は詩にならない

 

  消えてゆく想い うたかたの

  流れに逆らう杭を打ち込む

  その仕事の優しかろうはずもない

  己を腑分けする仕事の優しかろうはずもない

    

  何故 やさしさに甘んじるのか

  君たちの内宇宙は もっと深い

  微塵の曖昧を 苛立ちの掌(て)で払うとき

  やさしさの

  硬度の指標が変わる


    海を見に

 

  海を見に行こうとあの人は必ず言う

  波のない海に

  白い濁りの息を吐いて

  私のしずくが風にとばぬよう

  フードを髪にのせて  

  あの人は 私の知らぬ土地の海をかたる

 

  海はいつでもその端に陸をつないでいる

  と人は夢思(おも)う

  其処(そこ)の欅(けやき)は二倍も大きくて 

  葉も少し紅い

  林檎は太い幹がねじれていて

  編み込み模様のセーターの腕が ぐいともぎとる

  ああ そんな同じ風景があってね

  だから 

  何もない海がいい と

 

  しずくは とうとう とばされて

  その一つをあの人が掌にのせる

  六本枝の結晶

  溶けるよ 指の先から

  海の話はまだ続いて

  波が背をのばして風花をつかむ

  果ての陸まで渡るために

  しずくは 

  風にのり 波にのり

 

  溶けるよ 爪の先から

  溶け出すよ 凍ったプロミネンス

  核近く 人肌熱がしんしんと燃え続ける

  この星の七割がたの表面積

  そんなしずくが散らばっているじゃあないか

 


    暮色

 

  稲の穂が首をかしげだした

  その頭を撫でて風はひょうと行く

  私の胸郭に迷い込んだ一吹きだけが

  出口を見失って

  啼いている

  ごおん ごおん ごおん 

 

   ごおん ごおん ごおん

 

  鐘の音が

  すべての貧しき心を救うならば

  乾き始めた この心を

  桔梗色の空へ舞い上がらせてくれるだろう

 

  色づく前の稲穂たち

  紅にじむ前のいわし雲たち

  光帯びる前のちょうどの半月

  ああ あまりに ふさわしい

 


    果実

 

  実を結ぶ

  花の終わりに

 

  実は結ぶ

  種をはらんで

   

  実に結ぶ

  こころだねを

 

  くるると

  ことの葉に照り返し

  蕾 また 染まる

  くり返し

  くり返せ

  こころだねの苦しき業(わざ)

  けれど

  必ず

  果実になる


    原始のぶどう

 

  ギヤマンの器にもられた一房のぶどう

  切子模様に折れ曲がる光

  はじらいの露をまとう房

  一粒をもぎとる刹那に

  私は原始のぶどうを考えた

  (果実に触れるとき 私は いつも 

   最初に手をのばした人間のことを考える)

 

  雑食性の人間が地上にあらわれた

  生み 育て 地に満ちた

  野に出て 人は

  果実を見た

  (神が人のために世のすべてを用意したという説に    私は素直にうなずかない)

  それは やさしく 

  おずおずとした出会いだったろう

 

  もがれるために生まれたのではない

  一粒の艶の完成のために

  一房のおごそかな実りのために

  時はそこで終わる

 

  野に満ち始めた人間が

  最初の果実に手を触れて 

  その生命(いのち)をもらった時

  彼の瞳も ぶどうの露に濡れたのだ

  そのおずおずとした はにかみの光は

  今はもう やさしい四つ足の生き物にしか宿らない